少し前に、同僚の神父と神父の卵の神学生とを連れて那須に行く機会がありました。
その同僚の神父は、うらやましいぐらい物覚えが良いのです。人の名前、またその両親の名前までも覚えるのが得意で、彼と出会った人は、次に会った時、自分の名前を覚えてもらっているというので嬉しくなるようです。
そんな彼と神学生達と一緒にある女子修道院へ訪ねることになりました。彼は「そこへ行ったことがあるかな」と、とても不安そうでした。でもさすが、自動車で入り口に付くと、「ここ覚えているよ、あの大きな像、作った人知ってるよ」とうれしそうに話しました。そしてシスター方と面会をしたとき、「ここへ27年ぶりにやってきました」と自信たっぷりに話し始めたのです。
すると、すかさずシスターの一人が、「いいえ、神父様になってからここに礼拝にこられましたよ」と言うのです。別のシスターも、「その礼拝式では、中心になって祈ってくださり、お話までしてくださいました。」「その後の懇親会で、この場に座りましたよ」と話が続くのです。
彼は、「あっ、そうですか。それなら22年ぶりですね。」と冷や汗もので訂正していました。神学生達もそのやりとりにゲラゲラと笑っていました。20年の歳月を超えた、とても暖かい時の流れでした。
自分自身は忘れ去った、意識もしていない空白のところで、人と自分が関わっているんだということを、彼の体験の中から気づいたのでした。
いつも、一歩前へと考える年の初めに、人との隠れた関わりの重みと、意識せずに自分自身が積み重ねていく経験にも気づく一年でありたいと、今年は特に思います。