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魂の祈りは悲しみさえも・・

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 私だけに限らず、年齢を重ねるまでに、人はずいぶんといろんな困難にあってきたと思いますが、そのために、本当に忘れられない暖かい思いもしてきました。

 今は、もうふたりとも40男になっていますが、彼らが6歳と8歳だった時のこと、彼らの父親である夫が突然亡くなったのです。心筋梗塞でした。本当に悲しく、世界中で自分たちが一番かわいそうだと思うほどでした。

 でも、その時に、修道院に入っている昔の友人から手紙をもらったのです。本当に嬉しかったし、その時、初めて、あまりの悲しみや苦しみのために自分では祈ることさえできないでいる人たちのために祈ってくれている人たちが、世界中にいるのだと気がついたのです。

 世界中の観想修道会というところにいる人たちは、そういう方たちではなかったのかと思いました。祈ることもできない悲しみの中にいる人たちのために祈る、そういう人生を選んだ方たちのことを初めて実感をもって思いました。きっと社会の人たちには到底わかってもらえないでしょうけれど、なんと素晴らしい人生を選んだのでしょうか。

 昔から、修道女たちをキリストの花嫁、といいならわしてきているのはこのためかと思いました。そして、この方達は修道院に正式に受け入れられる時に、素敵なお花の冠をいただくようです。なんて素敵なんでしょうか。

 そして、こういう道筋を通って、困難の中で祈るということがどういうことか、自分なりに知ったように思います。

 つまり、この困難には何か意味があるに違いないということ。そして、このことを通して神様は私に何をお望みかを知ろうとすることです。そして、神様がお望みならば、必ずそうなるに違いないと信じ祈ることです。