聖書が描く人類で最初の殺人は、兄弟げんかがエスカレートしたものだった。弟アベルの捧げものだけを神が喜んだことに腹を立てた兄カインが、弟を殺害したのだ。カインを突き動かしていたのは、どす黒い嫉妬や、体面が潰されたことへの怒りだったと思われる。
イエス・キリストも、たとえ話の中で兄弟げんかを取り上げている。父親からもらった財産を無駄に使い果たし、ぼろぼろになって帰ってきた弟を父が歓迎したことに腹を立てた兄が、弟を歓迎する宴の席に着かなかったというのだ。兄の心の中にあったのは、やはり嫉妬だったと思われる。
人間が共に生きてゆくのを妨げる最大の障害物、それは嫉妬かもしれない。わたしたちはみな、誰かに愛されることを願っている。だが残念ながら、多くの場合、満足できるほどの愛を感じられず、自分よりも愛情を集めていると思われる誰かに嫉妬することになる。愛を求めて争い合い、滅びへ道をたどってゆくことになるのだ。
ではどうしたら嫉妬を捨て、平和に生きられるのだろうか。そのために必要なのは、自分も愛されていると気づくことだと思う。
人間からは、もしかすると十分な愛を得られないかもしれない。だが、わたしたちは、誰もが神から愛されている。わたしたち一人ひとりが神にとってはかけがえのない子どもであり、神はわたしたちに限りない愛を注いでくださっているのだ。
そのことに気づくとき、わたしたちの心から嫉妬は消える。周りにいる人たちを、愛を求めて競い合うライバルではなく、共に生きてゆく兄弟姉妹と思えるようになるのだ。神の愛は無限であり、互いに競い合う必要などない。誰かに嫉妬を感じたときは、そのことを思い出すようにしたい。