「私一人では何も出来ません。しかし神と共にするなら何でも出来ます」という言葉があります。本当にそうです。
いつも時間に追われている私が大きな病気もせず、これまで何とか複数の仕事と執筆、家事をやってこられたのは、朝一番に祈りの時間をとり、主に頼ってきたからだと思います。日中、たびたび「イエスさま、愛しています。共にいてください。これはどうしたらいいですか」と聞きながら行動するのがいつのまにか習慣になりました。
30代の時に、目指していた道が閉ざされ、お金もなく、人生を台無しにしてしまったと感じて苦しんだ体験、大切にしていた何もかもを失った体験が、私にその習慣を与えてくれたのです。
その頃、ある人は「ああ、あなたと話していると頭が混乱しそうだわ」と言いました。また、ある司祭は「とにかくたっぷり眠ってくださいね」と優しく言いました。つまり、平常心を失い、心のバランスを欠いているよう見えたのでしょう。しかし、私は厳しい試練にさらされ、大きな衝撃を受けて苦しんでいましたが、病気になったわけではありませんでした。
この試練は、自分がいかにもろく、すぐに消えてしまう霧のような、はかなく弱い存在だということを自分に知らしめました。ですから、とにかく祈りながら、神さまに聞きながら歩を進める、それ以外に道はありませんでした。
私をつぶしかねなかったこの試練は、かえってよりいっそう私を主に結びつけ、神が共にいてくださらなければ何も出来ないことを教えてくれました。