私の好きな聖書の一節に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」という言葉があります。(マタイ28・20)もちろんこれは、イエスさまの、私たち一人一人に対する約束の言葉ですが、この言葉にいつも励まされています。
私が望むと望まざるとに関わらず、また、神さまが必要な時もそうでない時も、いつどこにいても、イエスさまは「あなたがたと共にいる」と約束してくださったのです。
実際、心が沈み落ち込んでしまった時や、助けが本当に必要な時に、この言葉を思い出して、力やなぐさめをいただくことがあります。また、目の前に立ちはだかる高い壁を前にして、くじけそうになってしまった時に、この言葉に奮い立たせていただくこともあります。
様々な司祭の務めを果たすにあたって、この「共にいる」というイエスさまの約束は、本当に力強い一言です。幾度となく助けられてきました。
しかしながら、このイエスさまの約束に対して、私もいつも共にいただろうか、と思い起こすと、必ずしもそうではなかったことに気づきます。別のことに関心を向けていたり、自分中心の生き方に走ったりした時には、イエスさまが共におられることに真に寄り添ってはいなかったのだと思います。
いつも共にいてくださるイエスさまから、心が離れていたとしても、イエスさまの存在に気付かなかったとしても、それでもイエスさまは共にいてくださいます。私たちの心のあり方や、生き方がどうであっても、です。
私たちを最大限に尊重してくださるイエスさまは、私たちのあり方を静かに見つめながら、いつも寄り添い続けてくださいます。
このイエスさまの存在にいつも心を向けて、共に歩み続けていきたいと願っています。