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共にある

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 青春の頃も、色々な人生体験を積んだ男女も「何とも言えない寂しさ」に襲われるのが生身の人間ですが、その寂しさには神秘的な深い意味があるようです。

 その神秘的な意味について考えてみます。この寂しさの裏には、どうも神様の働きがあるようなのです。ですから軽率に、嫌な感情だ、と単純に決めつけないで、この「寂しさの意味」は何だろうと考える必要があるようです。

 親友が上手にそばに寄り添い共にいてくれれば、元気になりますが、親しくない方が儀礼的に無意味な言葉を呟きながら近づいてくると、益々、憂鬱になり孤立感すら感じるものです。孤立感を癒してくれるものは「親密性」や「愛情」です。

 70億を超える人類は、それぞれ異なる文化と環境で生きていますが、親密性や愛の感じ方も全部違うと言われていて、その一人ひとりが感じる愛の姿も、すべて違います。

 この各個人が感じる愛の姿を、専門用語で「愛の元型」と定義しています。

 孤立感で苦しむ人に寄り添い元気にさせる為には、まず、その人の「愛の元型」を探り出さない限り対処出来ません。その方がどんな時に、友情や愛情を感じるタイプなのか、冷静に観察する必要があるのです。

 その人が考え方を変えるか、体験の解釈を変えない限り、生涯、孤立感から抜け出せません。しかし、この孤立感を短時間の間に解決した事例を色々研究していきますと、意外に簡単に解決している事に気づきます。

 それは一言、短く「ああ神様」とつぶやくだけの事例です。

 本当に苦しいとき、寂しいとき、「ああ、神様、この寂しさをお救い下さい」と祈る人間に対して、宗教、文化を超えて、その祈りの叫びに神様が共に寄り添ってくださっているようです。