今からおよそ2000年前、ユダヤのベツレヘムという小さな街でイエスはお生まれになりました。
聖書は「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と伝えています。(ルカ2・7)人々からの善意や、もてなしの心を受けることなく、イエスは生まれました。その生涯の初めから、人間扱いをされませんでした。それは、世界中の孤独な人たち、また拒絶された人たち、そして、人間扱いされていない人たちの友となるためでした。
イエスはお城やお屋敷で生まれることなく、飼い葉桶の中に寝かされました。それは、誰でも気兼ねなくイエスの元を訪ねることができるように、すべての人、特に身分や財産に頼ることができない人たちの友となるためでした。
イエスは幼子の姿でこの世にお生まれになりました。それは、幼子の笑顔を誰もが素直に受け入れるように、すべての人が素直な心でイエスを受け入れることができるようになるためでした。
イエスは生後すぐに、羊飼いたちに会いました。それは、イエスの存在そのものが、すべての人のために捧げられることを示していました。
そして、イエスは両親と共にヘロデの迫害を逃れて、エジプトへと向かわねばなりませんでした。それは、国を追われたすべての人異国で過ごしているすべての人の友となるためでした。
イエスは人間の歴史のまっただ中に生まれました。それは、人間の歴史すべてに神さまの救いが及ぶことを示していました。
イエスは人間としてこの世に生まれました。
それは、神さまの愛の交わりの中に、イエスを通して、人類すべてを招くためでした。
特にこのクリスマスを祝う季節に、幼子イエスは、私たち一人一人にも微笑みかけています。私たちの友となるために。