「わたしは、平和をあなた方に残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」。この言葉はイエスの遺言としてヨハネ福音書に記されています。(14・27)
イエスが与えてくださる平和はイエスのお望みを果たすときに得られる、というのが私の実感です。社会の常識や、人からの評価を気にして選ぶのではなく、祈って神さまと相談して決めたことを行動にうつすとき、深い平和を味わうのです。
たとえば、私の35歳の時の決断がそうでした。すでに3年間大学でキリスト教について学び、翌年の春には卒業する予定でした。
しかし、自分の将来についてお祈りをすればするほど、もっと神学を学びたくなるのです。私は六畳一間に住み、奨学金をもらって学費をまかない、アルバイトで生活していました。神学のために他のことはすべて後回しにしたのです。同世代の友人は子育てをしながら安定した結婚生活を送っています。彼女たちに会うと私にも結婚相手がみつかるだろうか、と思い、感情が揺れ動きました。しかし、それは人と比較したために起きた一時的な思いでした。
一人にもどるとやはり聖書の勉強が面白くてたまらず、毎日が嬉しいのです。心の奥底を見つめるといつも平和があります。きらきらと輝くものがしっかりと内面に生きて、私に手を振り笑顔を向けています。それは私の本当の姿です。「これが、イエスが私にくださった平和だ」と思いました。
その後の人生も、祈って、手応えを感じる方を選ぶようにすると、周囲の価値観に合わなくても、時には批判されて傷ついても、後から必ず神からの平和が来ました。