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わたしが抱く平和

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 わたしはいま、宇部の教会で80代の神父たちと一緒に生活している。一緒に生活していて驚くことの一つは、彼らが絶対に人の悪口を言わないということだ。誰かが人の悪口を言っても、決して同調せず、むしろ悪口を言われている人をかばおうとする。

 それは、彼らが長い人生の中で、人間の弱さを骨身に沁みて知っているからだろう。人間には誰しも弱いところがあると知っているから、決して相手の弱点を暴き立てようとはしない。むしろ、相手の弱さを労わり、よいところを見つけようとする。それこそ、弱さを抱えた人間同士が、共に生きてゆくために一番よい道だと知っているのだ。

 高齢の司祭たちは、不平不満を言うこともほとんどない。食事にしても、衣服にしても、居住環境にしても、与えられたものですっかり満足しているようだ。歳をとって欲がなくなったと言えばそれまでだが、どうも彼らには、それ以上の何かがある。彼らは、人間が幸せに生きてゆくために必要なのは、たくさんのものではなく、むしろ神に感謝する心だと知っているのだ。たくさんのものを欲しがっても、感謝する心がない限り、いつまでたっても心が満たされることはない。だが、感謝する心さえあれば、ほんのわずかなものしかなくても、満ち足りた気持ちで生きることができる。彼らは、それを知っているのだ。

 教会ではよく、「キリストの平和」という言葉を使う。世間の平和が、力によって周りの国々や人々を従わせることから生まれる平和だとすれば、「キリストの平和」は、謙虚な心で神の前に跪き、すべてに感謝することから生まれる平和だ。高齢の司祭たちは、この地上ですでに天国の平和、「キリストの平和」を先取りしているように見える。