若いというのはただ年令が若いということであるが、若々しいというのは、年令に関係なく若いということだと思う。青春というと十七、八歳の若者だけに与えられた季節のように思いがちであるが、実は一生が青春なのだと私は思っている。
神父さま、シスター、ブラザー方の何と若々しいことであろう。ほとんど、年令を正確にいいあてることができないほど若々しい。
幼ななじみのシスターに会うと、私よりも10歳以上も若く見える。そう私がいうと、シスターは胸のところで手を振って「実はね、髪の毛、真白なんよ。かぶりもので隠れてるけどね」とけんそんするが、お化粧など全くしていなくて、素顔なのにその顔は輝いて見える。33歳で亡くなられた若きイエズスさまのお嫁さんとしての自覚が、その若さを保つことにつながっているのであろうか。
いつ会ってもイエズスさまと共に青春のまっただ中にあるといった風情には驚かされる。
どの神父さまにお会いしても、私よりはるかに年上の神父さまであっても、無邪気な幼な児のような表情がうかがえる。
神さまを心から信じる人に与えられた特権のようなすきとおった表情である。
神さまの前ではどの人も幼な児である。
ある時までは聖職者でなくても幼な児のごとく神さまを慕っているが、ある時から自分の力で生きているかのように錯覚しがちである。ある時を青春時代と呼んでもいい。青春時代が分岐点になる場合が多い。神父さま、シスター方は青春時代に神さまと共に生きることを選択された。だから神さまの大いなるふところに抱かれ、若々しい精神のまま、年を重ねているのである。私たち一般の人間も今からでも遅くない。神父さま、シスター方にならい、若々しい精神をとり戻したいものである。