「青春の日々にこそ、あなたの創造主に心を留めよ」という聖書の言葉があります。(コヘレト12・1)若い時に、自分がどこから来て、どこへいくのか、私を造られた神はどのような方なのかを知ることは、人の一生を大きく左右するでしょう。
ある思想は、人間は偶然に生まれ、運命に翻弄されながら生涯を過ごし、やがて火に焼かれて煙となって大気中に消えると言っています。もし、人間というものをそのように考えるなら、人生にはあまり意味がなく、たまたま幸せになったり不幸になったりするものだと解釈することになります。それならば、他の人のことなどどうでもいい、物やお金を集め、できるだけ楽しい思いをしなければ損だということになります。
他方、私たちは神に知られ、愛されており、神に望まれて地上にやってきたという聖書の考えがあります。私たち一人ひとりは、神に丁寧に造られている、神は、例外なくすべての人が幸福になることを望んでおられ、誰でも何か特別な使命をいただいている、いただいた賜物を生かして他の人を幸せにするなら、自分も充足感を味わうことができ、人生は輝きを増すでしょう。苦しみにも意味があることを知ることも大変重要です。私たちは、楽なこと、自分に都合のいいことを求めがちですが、試練を通して心は強められ、自己中心から解放されて自由になります。そのことも青春時代に知っておくと、何が起きてもその意味を考え、やがては感謝に変わっていくでしょう。すぐには試練の価値がわからなくても、神が私たちを愛情深いまなざしで見つめておられると信じるならば絶望しません。
若い時に神を知ることは、人生をどう生きたらよいかという方向付けを得させる素晴らしいことだと思います。