「パパは天国にいるの?」
全世界のカトリック教会では、今月は特に、亡くなられたすべての方を思い起こし、その方々の永遠の安息をお祈りするように勧めています。
冒頭の言葉は、ローマで、教皇フランシスコが子どもたちとの対話において、ある子どもが教皇に尋ねたものです。
それは、十字架の聖パウロ教会での出来事でした。その子の名はエマヌエレ君といいます。手渡されたマイクで話ができなかった彼を見て、教皇は「わたしのところに来て、耳元で話してごらん」と話しかけたのです。「少し前に僕のパパが死んでしまいました。パパは信者じゃなかったけど、4人の子どもみんなに洗礼を受けさせてくれた。良い人でした。パパは天国にいますか」とささやいたのです。
フランシスコ教皇は集まっていた子供たちに語りかけます。神の心について考える必要があると。
「誰が天の国へ行くかを決めるのは神です。どう思いますか?父親の心です。神はお父さんの心を持っているのです。」
教皇は続けます。「信者ではないけれども子どもたちに洗礼を受けさせることができた父親を前にして、神がその人をご自分から遠ざけたままにしておけると思いますか?」と子どもたちに問いかけます。子どもたちは答えて叫びます。「ノー」「ほら、エマヌエレこれが答えです」と教皇は少年に語ります。
この感動的なひと時から、わたしには感じることがあります。「祈り」って、今の自分の悩み、心配事、嬉しいこと、楽しいことをそのまま神に伝えればいいのだ、ということです。全世界の子どもの祈りは、ここに魅力があるのではないでしょうか。子どもの祈りには駆け引きはないのです。神に直行です。