今はやりの、自己啓発のグループのプログラムに、「自分とは何か」のセッションがありました。
まず、自分の役割とはなんですか?と問いかけられます。
それぞれ「父です」「母です」、夫、妻、娘、息子、それから社会的身分ですね。会社員、教師、主婦、学生などなど。
さて、人生は短い。神の目には千日も一日のよう。さまざまな役割をおえて「ただの人になる」。そこで最後の役割は?
神さま、お示しください。どこにしるしをくださっているのですか?わかりません。みえません。
でもね、それは目に見えない、ちいさなちいさな出来事にあるのかもしれませんよ。なんかドカンと大きなことをしたいな、神さまがくださるなら、なんて。つい欲が出ます・・。
けれどちいさな赤ちゃんにだって役割はあるのです。ベビーベッドに寝ているだけの赤ちゃんにだって。
「ほら、笑った!」『ムーっていったよ!」と大騒ぎ。赤ちゃんはそこに居るだけで、在るだけですごい。
60代位のカップルが教会の朝ミサに通ってこられるのですが、ご主人は車椅子で、わずかに右の手の先が動かせるだけ、重度の障がいをお持ちです。奥さんが介護しておられるのですが、この方がめっぽう明るくて前向きでヒマワリの花のよう。「うっほー、きょうはお天気になって嬉しいね!」
わたしは毎朝のミサを、このご夫婦と共に与ることで、日々元気をいただいています。神さまから戴いたいのちを100パーセント生きる姿をまのあたりにして。
で、今のわたしの役割って?ちょっと待って。
何かしようとすると失敗してしまう挫折続きの人生。でもそのぶん、一緒にいることができるのかもしれません。この格差社会で、差別されたり、負け組のレッテルを貼られた人たちの仲間として。