4人の子どもたちが結婚して巣立ち、一人住まいとなった今、私は子どもたちとその家族のために毎日主イエスに祈っています。
28年前に天に召された夫の取り次ぎも願って一人一人の名前を挙げて元気な姿を心に描きながら主の祝福を祈る時、目に見えない絆を感じて幸せな気持になります。
正月の帰省や家族旅行でおばあちゃんの私は総勢16人の中心です。信仰薄い私たちですが、主の慈しみに支えられ、生かされている事を想うと、主の寛大な愛を賛美し、感謝せずにはいられません。
最近、長女の家庭に大きな試練が与えられました。他の子どもたちもショックを受け、慰めの言葉も分からず悩んでいた時、私は神にとりなしを願い、皆で一緒に見舞い、試練に耐える力をいただいて暖かく癒やされました。これも私の役目だったのだと思います。
そして、言葉で諭すなど無用なことと分かりました。
聖母マリアが黙って神のみ旨を想い巡らし、ひたすら祈っておられたお姿を想い、その柔和で謙遜なお心を学ばせて下さいと祈っています。
祈ることによって、この世の理不尽な不幸の中にも、全てを益とされる神の愛と力が注がれて、人知を越えた主の平和をいただくことを体験しています。
それにつけても、長女をカトリックの幼稚園に入れたことでキリストの教えに触れ、愛である神の存在に目覚めて一家で洗礼を受けて信仰を得たことが、私の生きる道標となったことをつくづく感謝しています。もしそれがなかったら、私は未だ迷える子羊、人目を気にして付和雷同し、自分の生き方を持ち得なかったことでしょう。
一人でも多くの方が主イエスの愛と力、いのちの真理を悟り、魂の救いを得られるよう祈ります。