「適材適所」という言葉があります。環境が整えば、その人に適った役職に就けば、その人の真価がいかんなく発揮されるということでしょうか。
しかし、それが、十分にかなわないのが現実の環境です。したがって、どこかでわたしたちは不完全燃焼を起してしまうのです。それがストレスとして蓄積されていきます。
こうした環境の中で、自己の特性をさらに深め、見出していく作業はなかなかです。それでも、「わたし」は何かの、誰かの役に立つために生きているのです。この確信は大切にしたいことです。その役に立つあり方が、優秀かそうでないかは関係がありません。誰がそのような判断をするのでしょうか。大事なことは、生きていることなのです。
したがって、健康に生きること、さらに、その生き方を楽しんでいることが、誰にとっても、日常的に託されている役割なのではないでしょうか。しかし、仮に病に倒れたとしても、今度はその環境の中で、託されている役割・「生きている」という、今までとは違った別のあり方が見えてきます。
そして、自分が生きていることが、ある人の励みになったり、喜びになったりします。逆にまた、自分も元気をいただくことがよくあるんじゃないでしょうか。赤ちゃんを見てください。一生懸命息をしています。すやすやと眠っています。ニコニコ笑っています。言葉を交わすこともないのに、ただそれだけで存在感があります。役に立たないから存在価値がないとは誰も思いません。
そうなんです。ある役職から離れたとしても、命のある限り、人皆に、年相応の、時代に合った役割が託され続けられています。悩み事は無くなりませんが、いつも楽しく前に進みましょう。