わたしは、カトリックの神父で、イエズス会という修道会の会員でありますから、当然、わたしの役割は、清貧、貞潔、従順という誓願の下に、修道院という共同体の中で修道生活をすることです。しかし、それを生活の土台にしながらも、神父であるから、人々に主イエス・キリストの福音を宣べ伝える伝道という役割と使命があります。
新約聖書の聖パウロの手紙にあるように、人々は主キリストが伝える神さまの福音を受け入れ、信仰することによって、死後も永遠の命、すなわち天国に救われます。しかし、そのためには、福音を現実の生活に根ざした形で、人々に語り、教え、導かなければなりません。これが神父のいちばん重要な役割です。
そういうことは、書物を読むだけでも可能なのではないかと思われるかもしれません。若い時のわたしは、そうでした。実際、わたしの町には教会がなかったので、そうせざるを得ませんでした。本を読み、独りでお祈りするしかありませんでした。けれども、それは作家の遠藤周作が言うように、無免許で車を運転するようなものでした。やはり、機会があれば教会に行き、そこで、神父の教え、導きの許で、本当の正しい信仰が得られると思います。
わたし自身が18歳で経験したのはそういうことでした。
わたしは神父になって50年になりますが、いちばん大切な伝道を後回しにしたことは一度もありません。学校の教員であった時も授業の傍ら、人間というのは何者か、どういう生き方をすれば、現世で愛、平安、喜び、自由が得られるかを、様々な角度から話してきました。後に卒業生に会うと、「その時の先生の話が一番印象に残っています」と、言われました。