私の祖母が帰天してから今年で9年になります。人それぞれの物語があるように、この9年の間には、私自身の日々に色々な変化がありました。様々な季節を過ごしながら、月に一度、実家に帰っては写真立ての中の祖母と目を合わせ、祈ります。
私の祖父は、兵役から帰った後に病に倒れ、まだ小学生だった子供たちを遺して世を去りました。その後、貧しい暮らしの中、女手一つで息子と娘を育てるために若き母親だった祖母は、世間の裏も表も知りながら心を鬼にして生きざるを得ませんでした。
そんな気丈な祖母と一つ屋根の下で暮らした頃は、家族で激しくぶつかることもありました。今思えば、ずいぶんケンカもすれば笑い合ったりもしましたが、その心の奥には、若き日のうかがい知れぬ苦労と伴侶を亡くした寂しさがあったのだと思います。
晩年、近所にある修道院のシスターと親しくなり、カトリック信仰と出逢った祖母は、毎週、教会の集まりで友と語らうひと時を楽しみにしていました。そして、教会に通ううち徐々に祖母の性格が丸くなってゆくのを、私は感じました。最晩年は、嫁として長年にわたり尽くしてきた私の母に、なかなか伝えられなかった〈ありがとう・・・〉という言葉にならない感謝の思いを病床から伝えて、89年の生涯を閉じました。
愚息ならぬ愚孫?の私は今も、日々の自分の至らなさを、神様にそっと打ち明けるように〈婆ちゃん、ゴメン・・・〉と心で呟きますが、実家にいた頃、祖母の畳の部屋で多くの話をしたひと時が懐かしく思い出されます。
そして、祖母が帰天してから「信仰」という人生の道標を残してくれたことに気づいた私は、今日も〈ありがとう・・・〉と語りかけています。