私は母のぬくもりを知りません。私が1歳になる寸前に父が病気で亡くなり、母は兄と私を田舎の婚家に残して東京の実家に帰ったからです。隠居していた祖父が父親代わりに、未亡人となって3人の子どもを連れて実家に帰っていた伯母が母親代わりで、従兄弟たちと兄弟のように育ちました。近くに住む大叔母にも可愛がられて楽しい毎日でしたが、心の奥深くには言うに言われぬ寂しさがありました。
結婚して新婚旅行の東京で、夫が母に会わせてくれました。母は私を婚家に残してきたのは捨てたのではない。私のためを思って身を切る決断だった、また私がぐれたりせずに結婚して会いに来てくれたのが何より嬉しいと言って泣きました。私も寂しかったけど、母の気持ちは何となくわかるので恨んだりしていない・・・と言って泣きました。何とその翌日、母は胸の手術で遠くの診療所に入ることになっていたのです。
次に私が母に会ったのは、母が癌で亡くなる1ヶ月前でした。だから私にとって母はわずか2回会ったきりの人です。しかし母の療養中、私たちは堰を切ったように文通し、母が、東京で働きながらドストエフスキーを読んだことからロシア語の夜学に通い、そこで父に似た人に出会って再婚したことも知りました。
母が亡くなったと知らされた時、母はもういなくなってしまったと本当に寂しく思いました。
しかししばらくして一家でカトリックの洗礼を受けてから、母を身近に感じるのです。生きている時は遠く隔たれていた母が、今は自由にそばに来て、いつも私のために祈ってくれている、私も母のために祈ることができるからです。
更に天の母マリア様を知ったので、私の心はいつも暖かく満たされてこの上なく幸せです。