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母のぬくもり

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 母のぬくもりという言葉を聞くと、私には母の胸にだっこされていたり、背中におんぶされていたりする光景が浮かびます。なぜかそれは、懐かしい日本の原風景をバックにしているのですが。

 もっともこれは、私のあこがれのように持つもので、実際に自分の記憶にあるわけではありません。私が生まれたのは戦時中の東京でしたし、長男なので、母の胸も背中も独占していたはずです。少なくとも、弟が生まれる1才半までは。

 ですが、いくら記憶を手繰っても、それを思い出せないのです。そこで私は、まだ小さかったからか、次いで私には幾らか問題ありか?・・などと、少々焦りはじめています。

 母は結婚するまでは、恵まれた生活を送ってきたようです。それが、職業軍人だった父と結婚したために、戦後は大変な苦労を負う事になり、そのために、結核にかかり、その後、長い療養所生活を送る事となりました。手術は何と11回に及びました。

 主治医の先生がおっしゃったのは、30才位で亡くなってもおかしくはなかった・・と。実際には、比較的最近の、81才まで生きてくれたのでした。持ち前の明るさのおかげだろうとは、その何代か後の先生の言葉です。

 結局、私は母とは子供のころから離れて暮らさなければなりませんでしたが、それでも、遠くで案じていてくれる母というものは、有難いものだなとの思いは、しみじみと感じられます。

 私が修道者であった時も、聖書の中のこの神の言葉は私の胸をえぐったのでした。「母が自分の子を捨てることなどありえようか。もし、それがあったとしても、私はあなたを忘れはしない」。(イザヤ書 49・15)

 私の母も、今ではこのような神様とお会いしていることと思うと私はとても嬉しいのです。