幾つになりましても母のぬくもりは美しく暖かい想い出です。
しかし母を知らない人々も沢山います。
私の世代は不幸にも戦争を体験しているせいか、母のぬくもりばかりでなく、人間のぬくもりを欲しがります。人はぬくもりがないと明るく元気に生きるのが難しいといわれています。しかし、現代でも戦争やテロがあり、また大自然の災害もありますが、ぬくもりがなくても人々は逞しく生きています。
母のぬくもり、人のぬくもりがなくても、人は「幸福感」という感情を手にいれることができるのかを考えてみました。
幸せになる為に、人は「幸福の条件」と「幸福感」は全く違う世界であることを学ぶ必要がある、と言われています。
「幸福の条件」とは、例えば結婚相手を選択する「条件」として、お金持ち、容姿端麗、等と条件づけることを言います。かたや「幸福感」とは、終末治療で明日の命も分からなくても、現実の解釈いかんでは「幸福感」を感じつつ息を引き取る事例です。
このように自分が置かれている日々の現実の解釈を変えますと、どんな環境にいましても「幸福感」を感じることが出来ます。幸福の条件と幸福感はべつものだ、と意識した人々は、どんなに厳しい環境に置かれましても、考え方、解釈の仕方を変えることで明るく元気に爽やかに生きていきます。
「母のぬくもり」は幸福の条件の一つ、ですから母のぬくもりが無い場合でも哀しむ必要はありません。私達の人生には想像を超えた色々の出来事があるでしょうが、条件を求めるよりも、厳しい現実の中で「幸福感」を感じる為に、厳しい現実をどう解釈するか、その解釈の仕方を賢く出来るように神様に祈りつつ、明るく元気に逞しく生きていきたいものです。