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父のぬくもり

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 私には「父のぬくもり」という実感がありません。私の幼少の頃は、父もまだ若すぎたのかも知れません。可愛がって育てて貰ったのは確かだと思いますが、何か満ち足りていない感じで、私は世の中に対してどことなく、劣等感に苛まれているのです。

 そんな私にとって、未だに「父のようなぬくもり」を思わせてくれる関係がありました。

 当時、小学6年だった私は、バイオリンの裏付けとしてピアノも学んでいたのですが、縁あって素晴らしい作曲家にピアノのレッスンをお願いすることになったのでした。

 レッスンに伺うと、先生は大抵、お酒をチビチビやりながら、テレビで野球か相撲を見ておられました。私も毎回、おやつなどを頂きながら、これにつきあうわけです。それが一段落してから、ピアノのレッスンでした。と言っても、バッハを弾くと、先生はたちまち、バッハのこのフーガの構造はこうなっていて・・と夢中になりますし、ベートーヴェンだと、この曲はソナタ形式でね・・と専ら作曲論の方へ傾いてしまわれ、ピアノ演奏の技術については全く言及されませんでした。

 そして、先生らしくセンスのある名前を持った、慈しみの雨の子と書いて、じう子というお嬢ちゃんが、私が来るのをいつも玄関先で待ちかねていて、私が見えると裸足で外へ飛び出してきて、私に飛びついたのも懐かしい思い出です。

 また後年、私が修道院時代に出会い、以来、私の心に父である神のぬくもりを与え続けてくれる聖書の言葉をお伝えしたいと思います。「女がその乳飲み子を忘れるであろうか。たとえそのようなことがあったとしても、私はあなたを決して忘れはしない」。そして、「私はあなたを手のひらに刻みつける」と。(参 イザヤ49・15~16)