大学2年生になったとき、わたしは初めて実家を離れ、一人暮らしを始めた。大学に入って最初の1年間は、埼玉の実家から神奈川にある大学まで片道2時間かけて通った。だが、やはり体力的にきつかったし、その時間を勉強に充てたいという気もしたので、1年目の終わりごろ、思い切って父に「大学の近くにアパートを借りたい」と切り出したのだ。
父は初め、とても渋っていた。「大学入学を機に家を改修し、勉強部屋がある2階にトイレを付けたのは一体何のためだったのか。お前が実家から通うというから準備したのに」。父からそう言われると心が痛んだが、しかし当時は法律の勉強をして国家試験に合格するという目標もあったので、わたしは引き下がらなかった。すると父は、「そんなに言うなら勝手にしろ」というような感じで、渋々、アパート暮らしをゆるしてくれた。
入居するアパートが見つかり、荷物を運ぶための引っ越し業者を探していたとき、園芸農家を営む父の口から思いがけない言葉が出た。花の出荷のために使うトラックで運んでやるから、引っ越し業者を探さなくてもいいというのだ。こうしてわたしは、父の運転するトラックの助手席に座って、実家から旅立つことになった。
わたしが実家を離れてから1年半後、父は心筋梗塞で急逝した。いまから思えば、父は自分の残りの命がそれほど長くないのを、どこかで感じていたのかもしれない。だから、息子を実家に置いておきたかったのではないかとも思う。
キリスト教では「父なる神」という言葉をよく使う。わたしがその言葉から連想するのは、わがまま勝手な子どもであっても、その意思を尊重し、温かく見守ってくれる不器用な父のイメージだ。