少年文学には様々な父親と息子が描かれていて、どの親子も印象深い。重松清の短編「きよしこ」にも、心に残る父と子がさりげなく描かれている。
6歳のきよしはカ行とタ行、濁音で始まる言葉がうまく言えない。クリスマスプレゼントに魚雷戦ゲームが欲しかったのに、「ぎょ」の音から始まるせいで、口に出せない。飛行船が欲しいと言ってしまう。だからクリスマスの日、両親がくれたのは飛行船。きよしは伝えられない自分が口惜しくて、飛行船を叩きつけ、泣く。父親に叱られ、ごめんなさいの「ご」が言えずにまた泣いた。
翌朝、きよしは居間に座っていた父親の背中に抱きついた。父親は「ほんまは魚雷戦ゲームが欲しかったん違うか」と聞き、笑って「欲しいんじゃったら、ちゃんと言わんといけんじゃろうが」と言った。きよしは「ぎょっ、魚雷戦、ゲッ、ゲーム・・」としか言えず、ごめんなさいも言えなかったが、父親は怒らない。ただ短く「誕生日に買うちゃる」と言い、背中で清を抱くようにしていた。
きよしの家はつましく、おもちゃをすぐに買い直したりはしない。でもそれでいいのだ。両親がきよしの本当に欲しい物を分かってくれていて、特別な日に贈ってくれるというのだから。父親はうまく発音できないことは怒らない。だが伝える努力はしろと教える。そして、背中におぶさっているきよしを振り払ったりせずに、じっとぬくもりを分け合う。きよしの込み上げてくる気持ちを分け持ってくれるかのように。
母親は子どもを胸に抱きしめるけれど、父親は背中でこどもを抱いている。それが父親の愛情の表し方なのだ。それでいいのだ。