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父のぬくもり

新井 紀子

今日の心の糧イメージ

 母に尋ねたことがあります。

 「お母さん、今までで一番悲しかったことはなあに」

 「それはね、お父さんが戦争に行ったことよ」

 父は太平洋戦争に4回も招集され出征しました。4回目の出征では、南洋方面へ行くことになっていました。ところが、乗った飛行機が飛行場で墜落してしまい、腕に大けがをしてしまいます。次の飛行機を待っているうちに戦争が終わりました。父は終戦から一週間後、疎開していた母と2人の娘たちのもとに帰ってきたのです。母は父が南洋方面へと行ってしまったと思っていましたので、それはそれは、嬉しかったそうです。

 父も家族離れ離れの生活をしたせいで、家族と過ごす時間を大切にしていました。戦後に私と妹が生まれ、家族は6人になりました。父以外は全部女性です。食事の度に言ったものです。

 「僕は女性5人に囲まれて嬉しいなあ」

 日曜日になると、家族を近隣の川や海に連れて行ってくれたものです。

 ある年の正月のことでした。私は5歳の頃だったと思います。祖父母の新年会に家族そろって出かけました。その帰り道のこと、祖父母の家から電車を乗り継いで我が家へと向かいました。遊び疲れていたのでしょう、私は電車の中で眠ってしまいました。3歳だった妹も眠ってしまいました。私が目を覚ましたのは、電車を降り、我が家へと歩いている途中でした。私は父におぶわれていました。妹は母におぶわれていました。2人の姉たちは父と母の近くを黙々と歩いていました。新年会で楽しい一日を過ごし、我が家へと帰って行くのです。目は覚めたのですが狸寝入りをしていました。

 父の背中のぬくもりを感じながら、私は父が一緒にいてくれる幸せをしみじみかみしめていました。