妻の父親が81年の生涯を終えてから、まもなく2年になります。今も夫婦の会話で「お義父さん、あんなことを言っていたねぇ」と、しばしば思い出しています。
お義父さんと初めて会ったのは、当時私が働いていた、高齢者の方々が通うデイサービスでした。その頃独身だった妻が、両親の介護をしており、彼女の負担を減らすため、お義父さんが通うようになったのです。
お義父さんはコンピューターの大手企業で働き、新聞が活版印刷だった時代に、コンピューターで印刷するように変えるプロジェクトチームを立ち上げ、500年以上前のグーテンベルク以来の印刷革命を成し遂げました。
仕事に大きなロマンを託す、個性的な人で、博識で文学にも詳しく、私は休憩時間によく話を伺ったものでした。いろいろと語らううちに親しくなり、家に帰ると娘に私のことを話していたようで、図らずも、お義父さんの存在が私と妻の縁を結ぶことになったのです。それでも私と妻の結婚に、父親としての気持ちは複雑だったようで、私が緊張しながら初めて家に挨拶に伺うと、「娘を食べさせていけるのか!」と声を上げた場面も、今は懐かしく思います。
そんなお義父さんもダウン症児の孫が生まれると、その障がいさえも前向きにとらえ、本当に可愛がってくれました。そして、同居することになった私のことも受け入れてくれ、私たち家族と共に、義父は穏やかな晩年を過ごしました。
お義父さんが旅立ってから1年が過ぎたある夜、私は夢の中で確かにお義父さんの声を聴きました。「何も心配することはない、思うままに生きて大丈夫だよ」。長年共に暮らした娘への感謝を込めて語っているようでした。
目を閉じると、今もお義父さんがそばにいてくれるのを感じています。