小学生の頃の父の思い出の中で、強烈な思い出が一つあります。私の実家から5キロ以上離れていた親戚の家の棟上げ式の事です。その日行われる事になっていた餅投げを楽しみにして、私は徒歩で親戚の家まで行きました。餅投げが終わった後での事。叔母が、夕食が準備してあるので、食べて帰るようにと言ってくれました。それで、夕食迄の時間、辺りをうろついていたところ、父から突然帰宅命令が下されました。それは、容赦しない言い方でありました。ただ、「子供は帰りなさい」との事でした。それから、日暮れの5キロ以上の道を、私は、とぼとぼと歩いて帰りました。本当に、自分の親なのだろうか、と思えるような仕打ちでした。
このような父も、年老いてからは、随分変わりました。晩年の父は、私が帰省する度に隣町のモールへ、映画と食事の為に私を連れ出してくれていました。映画は、何を見るか余り計画はせず、映画館に到着した時刻に始まる映画の中で、適当なものを観るのが常でした。アクションやSFの映画の時には、隣でいびきを立てて寝ていることもありました。自分は、疲れているのに、無理をして私を映画に連れ出してくれていたのです。また、映画の前か後、モールの中にあるレストランに入り、そこで食事をしました。今でも、その頃食べていたメニューに似た食事を何処かで食べると、父の事が思い出され、心が温かくなります。
私の父方の祖父は、もっと厳しい人だったと家族から聞かされた事がありました。それゆえ、若い頃の父も、あのように厳しかったのだろうと今は思えます。
数年前他界した父が、今はただ、父なる神様の懐で、神様の温もりに包まれていますようにと祈るばかりです。