ホッとするとき

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 大きな仕事をなし終えたとき、先ずは「終わった」と感じます。記念イベントなどの場合は、後片付けなどもあり、すぐに落ち着いた、安心した時を堪能する暇は、これまでなかったように思います。

 また、カトリック教会の暦の中で、以前から、四旬節は重苦しい期間だったなという印象がありました。落ち込んでしまっていたのかなと思いますが、・・。つまり、ダメだったこと、いけなかったことを思いだすと、きりがありません。

 ところが、復活祭を迎えますと、一瞬にして明るく、気分も晴れやかになります。祭壇には多くの花々が生けられ、それまでの重苦しさから解放されたような気分です。肩の荷をおろしてホッとします。外見的な雰囲気に影響されやすいですね。

 身体的に安らぎを得られることが、現実的には、なににもまして大事だなと感じている自分があります。それが普通なんじゃないのといわれるとそうですが、よく考えてみますと、心が落ち着いて安心できていることが、一番「ホッとできる」最大の要因になっていることに気づかされます。みなさんはいかがでしょうか。

 また、主の復活祭が春に訪れるということも、自然界の明るさと華やかさにマッチして、人の心までも穏やかになっていくのでしょう。

 わたしは、日頃から思っていることがあります。人の成長は、「緊張しているとき」また、「ホッとしているとき」になされるのではないかということです。緊張しっぱなしではいけませんが、適度な緊張感はプラスになると思っています。それをさらに高めてくれるのが、ホッとする時です。この繰り返しが人の人生でもあるような気がします。

 わたしたちには、ひたすら前に進む道だけが準備されています。

苦しみの意味

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 なぜ、神は人間に苦しみを与えるのだろうか。人間の苦しみには、一体どんな意味があるのか。その一つの答えは、苦しみを味わった人には、同じような苦しみを味わっている人の気持ちを想像する力が与えられるということだ。

 病気の苦しみを味わうことによって、私たちは病気の人たちの気持ちを想像できるようになる。肉親との死別の苦しみを味わうことによって、私たちは同じように肉親を失った人の気持ちを想像できるようになる。苦しみを味わうことによって、わたしたちは、同じような苦しみを味わっている人の苦しみを想像し、その苦しみを自分自身の苦しみのように感じることができるようになるのだ。苦しみの体験はわたしたちに、人の苦しみに共感する力を与えてくれると言っていいだろう。

 苦しみに共感してくれる人の存在は、苦しみの中にある人たちに大きな力を与える。私たちの苦しみをまるで自分のことのように思い、隣で一緒に泣いてくれる人がいれば、私たちは大概の苦しみを乗り越えて行くことができるだろう。苦しみの中にある人にとって、共感してくれる人の存在はまさに救いなのだ。

 イエスが十字架上で苦しみを味わったことの意味が、ここにある。十字架上のイエスが味わっている苦しみは、人類の苦しみを共に担うための苦しみなのだ。イエスは、苦しみを取り去ることによってではなく、苦しみを共に担うことによって私たちを救って下さる方なのだ。

 神は、苦しみの体験を通して私たちに、誰かの苦しみに共感する力、誰かの苦しみを共に担う力を与えて下さる。それは、一つの召し出しと言ってもいいだろう。苦しみの体験を通して私たちは、苦しみを味わった者にしか果たすことのできない救いの使命を神から受け取るのだ。


前の2件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11