ホッとするとき

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ

 爽やかな春のそよ風の中を通り過ぎてゆく。ざわついていた心がすっと落ち着いてゆく。自然が私たちの心に触れ、私たちがその自然に包まれ、心が安らぐのでしょうね。

 私たちの毎日の生活の中で、私たちが「ホッとするとき」とは、どんな時なのでしょうか。

 思い巡らすと、様々な時が思い浮ぶのではないでしょうか。先程の様な自然に触れる時、自然に包まれる時。一日の仕事が終わった時、仕事の仲間や友人達との楽しい夕食の時。自宅に帰った時、家族と過ごす時。お風呂に入る時、寝る時。人によっても様々でしょう。

 では「ホッとする」とは、どういうことなのでしょうか。

 私たちは様々な関わりの中で、「今」を生きています。自然とのかかわり、社会とのかかわり、家族とのかかわり、人とのかかわり等々。その様な中で「ホッとする」そんな場があるのでしょう。

 私たちは自分のことを無条件に受け止め包んでくれる。そんな存在とのかかわりの中にいる時、身を置く時、ホッとする様に、くつろげる様に、心安らぐのではないでしょうか。ありのままの自分を受け止めてくれる存在、その存在と共に過ごす時間は嬉しい時です。両親、家族、子供、幼馴染、学校の仲間達、会社の方など、多くの方がおられるのではと思います。あなたにとって、ありのままの自分を受け止めてくれる存在はどなたでしょう。その様な大切な方との出会い、繋がりはいつまでも大切にしたいですね。

 中々会えなくても、ハガキ1枚、メール1通、電話1本。それが難しくても想いは向けられますね。その方との繋がり、その存在を確かめながら、自分が受け止められていることを確かめながら、また新たな一日を歩んでゆくことができます様に。

ホッとするとき

服部 剛

今日の心の糧イメージ

 私は手紙を書くとき、最後に「〇〇さんの日々が平安でありますように」という祈りの言葉を添えることがあります。相手によって表現が変わることもありますが、私にとって「平安」という言葉は大切な一言です。辞書で調べると、「無事平穏なこと」とあります。

 ヘブライ語に「こんにちは」を意味する「シャローム」という挨拶の言葉がありますが、この言葉は戦いや騒乱のない状態を指しています。「あなたにとって事がうまく運びますように」というメッセージも含んでいるそうです。そこにはイエスがそれぞれの日常に派遣される私たち一人ひとりに語りかけている祈りの言葉でもあります。

 日々の暮らしの中では、ふいに大事な局面を迎えることがあります。正直に言うならば、そういうときの私の心はすぐに浮足立ってしまいそうになります。ですが、そんなときこそ、目を閉じて、「平安のうちに行きなさい」というイエスの音の無い声に耳を澄ませる感性を養いたいものです。その場面において最も安心したいのは誰なのか?と心を寄せる姿勢を意識しています。そこに集う人々の空気が和合されるように願い、イエスの御心に倣い、「平安のうちに行う」ことが求められているのでしょう。

 ギリシア語の「エイレーネー」という言葉も「シャローム」と同様の意味があり、「平安のうちに行きなさい」という祈りの言葉でもあるそうです。このように考えると、「平安」「シャローム」「エイレーネー」のどの言葉も人の心の安らぎを願う意味があり、深いつながりを感じます。そして、私は祈ります。

 主よ、今日も「平安」という言葉の意味を私の心のなかに深め、かかわる誰かとの間に微笑みを交わすことができますようにーー。


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