ホッとするとき

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 昨年、クリスマスの翌日に容態が急変し、天に召された故郷の兄を思う度に、私の心はたった一人の兄を失った寂しさよりも、奇跡的に至福の刻を賜った神様の慈しみに、感謝の気持ちで一杯になるのです。

 兄は長年透析を受けていました。しかし故郷は遠く、なかなか見舞いに行けません。去年の春、やっと帰省した時、車椅子ながら家族共々外食して元気でしたので、安心していました。ところが夏に誤嚥性肺炎で入院し、点滴のみの生活となったと知りました。が、異常な暑さで見舞いに出かけられません。

 涼しくなっても、孫娘の結婚で上京など忙しく暮らす中、やはり心配で思い切って出かけました。

 甥っ子夫婦の出迎えを受け、病院を訪ねたところ、兄は褪せて寝てばかり。私が来たこともわからない様子です。「89歳という歳を思えば安らかに寝ているのはお恵みなのだ」と思い直し、全てを主に委ねて私は祈りながら宿で休みました。

 翌朝、兄を訪ねて驚きました。目を大きく開けて私を見るとぱっと笑顔になったからです。「まあ!兄ちゃん!目が覚めていてよかった!」兄も言葉にならない声を出して喜びました。それから約2時間、手を取り合って互いの孫の結婚写真を見せ合い、子どもの頃のことを話して笑いました。長居はできず、明日は透析の日で、もう会えません。別れ際、兄の額にキスしたら、照れ笑いの兄。握りしめた手を離して、部屋を出るまで手を振って別れました。

 帰宅後、兄が車椅子で散歩させてもらったと聞き、喜び、年が明けたらまた会いに行こうと思っていた矢先、突然の訃報でした。

 安らかな兄の顔に安心し、先日の「至福の刻」を感謝しつつ、天国への旅立ちを見送って、ほっとしたのでした。

ホッとするとき

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 いろいろな条件が合わなくて、なかなかミサに行けないこの頃です。

 2010年に東京から岩手に引っ越してきたのですが、盛岡の教会に行くのに、高速道を使っても車で40分はかかります。そして、ミサの時間が日曜日は朝9時だけです。でも、障害のある長男の手当てをしてからでなくては家を出られないのです。引っ越す前には、教会の隣に住んでいました。ですから、ミサに行けないということはほとんどありませんでしたし、買い物の途中でもちょっとお祈りがしたいという時には、買い物カゴを提げて聖堂に寄ったりして、教会の隣に住む幸せを存分に味わっていました。

 そして再婚した夫が住んでいた鎌倉では、一緒にミサに行くことも多くありました。夫婦で並んでミサに与るということがなんと幸せなことだったかと、夫が亡くなった今、あらためて思います。

 今は、息子の体のことを第一に考えるようにしているので、それはそれで仕方がないのだと思うようにしています。でも、例えば、これまた全く別な難しい問題を抱えた、東京に住む次男のことが心配で眠れないような時もあるのです。

 そんな時、長男にミサのことをそれとなく相談すると、日曜の朝の手当ては、やはり遅くなると不安なようです。それよりは、前日の土曜日の夕方のミサに行ってくれた方が、帰りが少し遅くなっても気が楽なようです。それで、先日のこと、思い切って夕方のミサに行きました。本当に久しぶりのことでした。北国の夜道を帰るのは、なかなか気が重いのです。でも、ミサから帰って、本当にホッとしました。

 抱えている問題は具体的には一つも解決したわけではありませんが、それでも心の平安が与えられたと思いました。


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