ホッとするとき

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・34)

 忙しい一日の終わりに熱い飲み物を傍らに置いて今日の出来事を思い出しつつ日記をつけ、おわって一口飲み物を口に含むとき、しみじみほっとするひとときです。飲み物はミルクであったり日本茶であったり葛湯やココアの時もありますが、熱く入れてしばらくして飲むので程よい温かさになるというところがコツです。

 どこに行って、誰と会って、何をして、どういうことになったか、何がどこまで出来たのか、結果は良かったのか、改善の余地があるのか、お先真っ暗なのか、すべて予定通りだったのか、まるで予期せぬ出来事だったかなど、一日を順に思い出し反省します。すると今日も精一杯生きたという実感がわいてきて、たとえすべてがうまくいった訳ではない日であっても、ホッと出来るのです。

 まして何か成し遂げた日なら、達成感と感謝の気持ちで、心からホッとします。そして冒頭の福音書のみ言葉がよみがえり、心に広がります。

 寒い日に、冷たい風に吹かれて、暖かい室内に入るとホッとします。真夏の炎天下、暑さに耐えて用事を済ませ、木陰に入り冷たい飲み物を口にして一息つく時、ホッとします。ホッとするという感覚は、重く垂れこめた雲がスーと切れて青空が開ける感じ、居心地の良い空間で思い切り手足を伸ばせる安心感です。

 いろいろな場面でホッとすることはありますが、私にとってやはり一番ほっとできるのは、一日の終わり、就寝前にお捧げする祈りの時です。

 今日も見守って下さったという感謝と、また明日も生かし使命を下さるという信頼と安心感なのだと思います。

ホッとするとき

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 少し前、私は「バラの騎士」というシュトラウスの名曲を指揮しました。

 この作曲家の驚くべき才能によって、冒頭から、旋律が奔流のように溢れ、躍動し、私達をめくるめく世界へ連れ去るのです。

 ところで私は、この曲のスコアを読んでいるうちに、気がついた事がありました。私を引きつけるこの魅力的な音の動きは、なかなか自分が何調であるかを明かさないのです。というのは、始まって数小節のところから、そのカギとなるドレミファソの「ソ」の音が現れ、あとは、この音を巡って華麗この上ない音楽が繰り広げられ、やっと、私達が心ひそかに待望していた「ド」の音に落ち着くのは実に、スコアの11ページに至っての事なのです。

 さて、この「ソ」という音を聴いていると、「ド」の音を聴きたくなると言われても、ちょっと分かりにくいかも知れませんね。

 では、これならどうでしょう。妻が私にこう言ったとします。

 「あなた、今日のお昼、うどんがいい?おそばがいい?」。そうしたら私は、「じゃ、うどんにして貰おうかな」とか選択できて、この件は落ち着くわけです。

 ところがもし、妻が「今日、夕食を」としか言わなかったとしますと、私は妻の言いたいことが分からず、ことによると、愛情まで疑うような場合もあるかも知れません。目的語までで述語を聞かないと、私達の心は落ち着かないわけで、先ほどの、「ソ」の音は、次に「ド」が来ると、私達の心にそうだろそうだろというホッとした気持ちが生まれるようなのです。

 私達がなかなか大変なこの世での生活を、神様の援けを借りながら歩み通せたなら、またその結果、神様にまみえる時が来たなら、その時、私達はどんなにホッとする事でしょう。


前の2件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11