ホッとするとき

服部 剛

今日の心の糧イメージ

 私は手紙を書くとき、最後に「〇〇さんの日々が平安でありますように」という祈りの言葉を添えることがあります。相手によって表現が変わることもありますが、私にとって「平安」という言葉は大切な一言です。辞書で調べると、「無事平穏なこと」とあります。

 ヘブライ語に「こんにちは」を意味する「シャローム」という挨拶の言葉がありますが、この言葉は戦いや騒乱のない状態を指しています。「あなたにとって事がうまく運びますように」というメッセージも含んでいるそうです。そこにはイエスがそれぞれの日常に派遣される私たち一人ひとりに語りかけている祈りの言葉でもあります。

 日々の暮らしの中では、ふいに大事な局面を迎えることがあります。正直に言うならば、そういうときの私の心はすぐに浮足立ってしまいそうになります。ですが、そんなときこそ、目を閉じて、「平安のうちに行きなさい」というイエスの音の無い声に耳を澄ませる感性を養いたいものです。その場面において最も安心したいのは誰なのか?と心を寄せる姿勢を意識しています。そこに集う人々の空気が和合されるように願い、イエスの御心に倣い、「平安のうちに行う」ことが求められているのでしょう。

 ギリシア語の「エイレーネー」という言葉も「シャローム」と同様の意味があり、「平安のうちに行きなさい」という祈りの言葉でもあるそうです。このように考えると、「平安」「シャローム」「エイレーネー」のどの言葉も人の心の安らぎを願う意味があり、深いつながりを感じます。そして、私は祈ります。

 主よ、今日も「平安」という言葉の意味を私の心のなかに深め、かかわる誰かとの間に微笑みを交わすことができますようにーー。

ホッとするとき

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 公園や山野を歩き回り、鳥や花などの写真を撮って歩くのがわたしの趣味だ。しばらくは夢中で写真を撮っているが、何時間も歩き回ると足が疲れ、背負った荷物が肩に食い込み始める。どこかに休めるところがないかと辺りを見回し、休憩にちょうどいいベンチや切り株を道端に見つけると、わたしはほっとする。肩の荷を下ろして休めるからだ。

 人生の道のりを歩いているときにも、同じようなことが起こる。最初のうちは与えられた仕事に夢中になっているが、やがて体も心も消耗し、これ以上は頑張れないという状況に陥る。そんなとき、スケジュールをやりくりして、休める時間を半日でも見つけられるとほっとする。仕事を忘れ、体と心を休めることができるからだ。

 日々の生活の中で、わたしたちは体だけでなく、心にも荷物を背負って歩き回っている。「あれもしなければ、これもしなければ」という焦りにも似た思いが、心に重くのしかかっているのだ。ときどき荷物を下ろして休まなければ、心は疲れ果ててしまうだろう。

 仕事のことが心配で、休日でも仕事のことが頭から離れないという人もいる。そんな人は、仕事を置き去りにするのではなく、神様の手に委ねると考えたらいい。「自分として出来る限りのことはやりました。しばらく休みますから、神様、その間のことはお願いします」と祈って、神様に仕事をしばらく委ねてしまうのだ。よれよれの状態で荷物を運び続けるより、休んで力を回復する方が、その後ずっとよく働ける。休んでいる間に、自分が必要以上の荷物を背負い込んでいることに気づいて、荷物を減らせる場合もある。心配することはない。神様に荷物を預けて、しばらく休憩するとしよう。


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