ホッとするとき

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 日常生活で「ホッとするとき」といえば、大抵、仕事や用事が終わって、わが家に落ち着く時ではないでしょうか。わたしたち人間は社会的動物ですから、家庭や学校や職場や社会など、いわゆる集団との関係の中でのみ生きることや活動することができます。孤立した生活には耐えられません。

 しかし、集団の中や人間関係の中に、どっぷりつかっていると、ストレスが溜まり、それが重なると病気になることもあります。人間というのは、一人ぽっちでは生きられませんが、終日大勢の人々に囲まれているのも疲れます。さて、そういう時にはどうすれば良いかは、一人ひとりが決めることです。他者の助言を参考にするのはよいでしょうが、自分の事は自分で決めることが大切です。

 わたし自身の場合はどうするかというと、わたしは修道者ですから、共同体の生活をしています。現在は、国籍も豊かで40数名が一緒に住んでいます。顔を合わせるのは、食堂か休憩室か聖堂です。集団生活ですから、神経を使いますが、適当にほかの会員と関わり、話したりはします。しかしそれは、快感を覚えるような楽しさではありません。やはり疲れます。ストレスが溜まるといっても、間違いないでしょう。そういう時、ホッとする場所は、やはり個室、すなわち自分自身の部屋です。部屋に帰り、好きな本を読み、適当にテレビを見、ラジオを聞くときが、ホッとしてくつろげる憩いの時です。それに加えて、わたしは神父でもありますから、説教や講座の準備をします。

 けれども正直に申し上げますと、静かに瞑想しているときが、至福の時間です。瞑想とは、神の前にただ静かに安らかに坐っていることです。

ホッとするとき

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 コーヒーが大好きで、淹れ方にも凝っている男性がいる。或る日、友人たちを招き、夕食後にご自慢のコーヒーを淹れて皆で楽しんだ。彼がすっかり満足して、「僕はコーヒーさえあれば、もう他には何もいらないんだ」と言ったので、友人たちは笑った。彼がその台詞とは反対に、仕事も資産もあり余るほど持っていて、それらを決して手放さないことを、友人たちはよく知っていたのである。

 一日の終わりに、一杯のコーヒーを飲んでホッとする時、その人が味わっているのはコーヒーだけだろうか。もちろん人によっては、ジョッキに溢れるビールやお燗をした日本酒かもしれない。だがどの飲み物にせよ、人々はその時、一日が無事に過ごせたこと、仕事を終えたことの喜びを味わい、自分をねぎらっているのである。不平不満もあるが、それも生きていればこそだ。生きている幸福を実感しているのである。

 仕事の緊張から自由になり、ホッとしている時間はいいものだ。そんな時に、忙しく働いている間は忘れている大事なことを思い出すことがある。昔お世話になった人、入院している友人、遠くに住む祖父母のこと・・。幸福は自分独りで手に入れたのではない、いろいろな人が自分に贈ってくれたのだと気づく。そして、今度は、自分も誰かに贈ろうという気持ちになるのである。

 コーヒー好きの男性も、気がつけばよかったのだ。彼にとって最も大事なものは、集まってくれる友人なのだということに。友人と飲むから、そこに幸福があり、一杯のコーヒーが美味しいのだということに。


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