以前、親しい人から、公の面前で罵倒された事があります。その時、頭に血が上り、心が怒りで一杯になり、夜も余り眠れませんでした。ところが次の日、祈りの集いで祈っていると、その出来事が自分の心の中を占めていた神様以外のものを一掃する、イエス様の働きである事が分かってきました。その時イエス様が、聖霊の神殿である私の心を清め、富に対する執着や動物的なものを追い出して下さったのだと感じ、イエス様に感謝を捧げました。
ところで、世の終わりにイエス様が再びお出でになる際、どのようなしるしが現れるかに関して、弟子達が密かに尋ねた時、イエス様は、戦争や天災の勃発、偽メシアの出現、親族間での裏切り、迫害などを予告されました。私達は、今既に、大なり小なりこれらの出来事を経験しています。これらの出来事は、どれを取っても私達にとって非常に苦しい体験です。このような体験による心の傷は、私達の生きる力さえ奪ってしまう事もあります。
それでは私達は、このような出来事をどのように受け止めれば良いのでしょうか。イエス様は言われます。「これらの出来事が起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」。(マルコ13・29)
今思えば、最初に述べたあの苦しみの時、イエス様が私の心の戸口に近づいておられたのだと思います。確かに、人生における苦しみは嫌なものであり、出来る限り避けたいものです。けれども、苦しみの時、イエス様が私達に近づき、私達を助けようとされているのも確かな事です。
イエス様が近づいておられる時のしるしを見逃さず、お出で下さるイエス様を歓迎できたらと思います。