わたしの支え

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 若いときにある方から勧められて、自然の環境が素晴らしい身体障害者の施設に、何泊かボランティアをするために行ったことがあります。夕方までは職員の方がたの補助として、食事の介護や、おむつたたみ、ベッドの移動などの作業がありました。

 そして、仕事が終わる1時間前からは、意識がしっかりしている青年のところに入って、話し相手をするようにとの指示がありました。きっと毎日毎日同じ人が関わるため、新しい刺激が必要になるんだろうなと自分なりに考えました。

 そこでは、入所者の方々はいろいろな家庭環境、人生体験などを話してくださり、こちらの方も、私の仕事場での出来事やギターが少し出来たので、流行歌を一緒に歌ったりして楽しくやっていました。

 その施設での最後の日、皆さんにお別れの挨拶をしていると、一人の入所者の青年から「松浦さん、今度いつ来てくれますか?」とお声がかかりました。わたしはびっくりして、「楽しかった?」と聞き返してしまいました。「うん、とっても楽しかった。だからまた遊びに来てくださいね。」との返事でした。その言葉に、わたしはすぐににこにこして「また来るからね!」と即、返事をしたのです。

 実は、その施設に行く前、私は自分の性格の押しの弱さから会社に大きな損害を与えてしまい、また人間関係も最悪の状況でした。だから、「私はたいした者で無い。駄目な人間なんだ。」と思い込み、気が塞いでいたのです。

 彼のその一言は、私にはまだまだ自分を必要としてくれる人がいる、という自信が持てる救いの言葉になりました。

 私はこの体験を忘れずに、人々に希望を与える言葉を語れる人間になりたい、という信念に支えられているのです。

わたしの支え

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 昨年秋、私は子供や孫たちと北陸の温泉地で連休を過ごしました。家族全員ではありませんでしたが、半数の8人で東尋坊や兼六園を観光し、日本海の豊かな海の幸に舌鼓を打ち、夜遅くまで歓談しました。孫の1人が操作する「ドローン」が部屋を飛びまわって撮影するのを一同面白がってはしゃいだ楽しい記念写真もできました。

 この家族旅行で私は一番身近な家族の有難さ、楽しさを改めて思いました。

 腰痛が心配な私は、東京に住む長女の世話で、訪問介護支援を受けて風呂や床の清掃を助けてもらえることになり、自立して生活できるのが有難いです。しかしコンピューターのことは、ちょっとした操作が分からなくて近所に住む次男に助けられています。おかげでパソコンを使ってエッセーを書いたり、資料を検索したり、遠い親類や友人との交信もできて、これも感謝です。

 近所の生協仲間との交流も、毎週食品や雑貨を集配したり、地域の健康講座に出かけたりして生活面で大きな支となっています。 

 こうした家族や友人知人の支えを全てひっくるめて、丸ごと私が支えられているのはやはり信仰です。万物の創り主、いのちの与え主である神を知り、その神に無条件に愛されていることを知って生きる喜びと魂の平安は、何物にも代えがたい私の生活の基盤です。

 信仰の仲間が集う「教会」は、言うなれば一つの大きな家族のようなものです。私たちはキリストの愛の教えに従って自我を捨て、神と人を愛し、助け合い、やがて神のいのちと共に生きる天国に行きたいと願い、祈っているのです。

 太陽の光のように全ての人に分け隔てなく降り注がれる神の慈しみに見守られ、支えられて生きる幸せを日々感謝しています。


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