わたしの支え

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 どんなに立派で強く見える人にも必ず弱さがあります。それは残念なことではなく、弱さゆえに他者を必要とし、愛しあえるのですから、人にとって大切な要素だと思います。神さまは、他の人を必要としないほど完璧な人間を一人もお造りになりませんでした。ですから、私たちをわざわざそのようにお造りになったと言っていいでしょう。

 私には優しい夫が与えられましたが、素晴らしいといつも感じるのは、彼が人の気持ちを深く感じ取り、共感できるところです。

 あるとき、スーパーの店員がまだ慣れておらず、夫の買った食品を2回レジに打ったので、価格が2倍になってしまいました。夫は気が付きましたが、彼女が叱られないように何も言いませんでした。「どうして言わなかったの?」と後で聞くと、「あのスーパーはしょっちゅうアルバイトさんが代わるからね、きっと厳しい人がいて、新人は辛い目にあってるんだよ」と言うのです。

 また、別の時期のことですが、私が職場で中堅になり、仕事が急に増えると、ミスが重なりました。最近はよく注意を受けるので恥ずかしいと夫に話すと「君が叱られている時、僕もすぐそばにいるよ」と優しく言ってくれました。それはもう10年以上も前のことです。彼は忘れていると思いますが、私はこの言葉を思い出すと今も胸が温かくなるのです。

 私の命も人生も、すべて神さまから与えられたものです。朝が来て夜が来ることも、仕事や友人が与えられていることも、健康も、何もかもすべて神さまが支えてくださっています。その上、神さまの愛は夫の言葉や忍耐強い態度に現れているので、目で見ることもできます。弱点の多い私は夫に支えられ、許されて生きているのです。

わたしの支え

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 美しい小鳥の声を聴きながら森を散歩すると元気が出てきます。これが自然の力なのだと感動していると、大きなわんちゃんを連れた若い二人がすれ違い様、にっこりと微笑んでくれました。そのワンちゃんも知らない私をみて嬉しそうに飛びつきたがりましたが、その若い二人はそっと首輪を押さえます。こうした雰囲気は私をとても幸せにしてくれます。

 昔、アルゼンチンで暴動に遭遇し、機関銃の中を逃げまわった体験があります。そのあと、チリにも行きましたが、その当時、南米はとても荒れていました。私もまだ30代で、恐怖から錯乱しましたが、その恐怖を乗り越えて生き抜くことが出来ました。

 人は身辺の現実を不幸と解釈するか、幸福と解釈するかで、幸福感が決まります。苦しみは嫌なものですが、解釈いかんでは、生き甲斐を感じさせてくれます。入り乱れた複雑な感情と厳しい人生は宝物です。美しい小鳥の声で感じるあの幸福感ばかりでしたら、多分、私は駄目人間になっているような気がしますし、南米のあの厳しく怖い現実だけですと私は精神的に錯乱していたように思います。

 「私を支えているもの」は「私の生き甲斐」ですが、その生き甲斐を創造していくものは、私の理想設定と現実の解釈です。理想の中身が少々変な時は私の現実は変になります。中身が美しく健全な時は、現実も美しく健全なようです。ここが人生の難しいところのようです。

 

 毎日の私の祈りは、この理想の中身と現実の解釈の点検作業のようです。神様も面倒くさい人だなあ、と呆れておられるかもしれませんが、それでもひたすら神様と会話していますと、私は明るく元気になり、そのぶつぶつ会話が私の生き甲斐になっているようです。


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