私の場合、ものを書くことが仕事なので、出版社の人たちには大変お世話になった。
また、結婚してからは、夫や夫の両親をはじめ、ゆかりの人たちにも支えられた。ひとり息子にもずっと支えられている。
4年前、大腸ガンで手術入院の時には、お医者さん、看護師さん方をはじめ、多くの病院関係者の方に、心とともに身体の支えを受け、今も受け続けている。
物質の面では、毎日の衣・食・住、すべてそれぞれの人に支えられている。お米を食べる時、魚を食べる時、野菜を食べる時、それらに関わった人のことを思い、口に運ぶ。
ありがたいなと思いつついただくのである。
よくよく考えると、これらすべて、神さまからのいただき物であることを忘れてはいけないと思う。
私の母は何事にもよく感謝する人であった。
元気な頃は人の支えになり続けた人であったが、晩年、病気になってからは、「まわりの人どんに迷惑ばかりかけて、申し訳なか」といっては泣いた。
しかし、すぐに気をとりなおして、「今は、身体では何も出来んばってん、心は生きちょっけん、みんなのためにお祈りだけは欠かさんとしとっとよ」と、死ぬまでお祈りでゆかりの人の心を支えた。
もともと母はほっそりとした体型で、私が無事に産道を通って生まれるのは難しいと言われ、当時、珍しかった帝王切開で生まれた。弟は大変な難産の末に生まれた。母は、3人目の子どもを身ごもった時、おそらく命がけの出産になるはずだった。やがて母は寝込むことが多くなり、赤ん坊を流産した。その晩、父はずっと泣いていた。
その頃まだ同居していなかった祖母がきて、家事をして、母の体調が戻る頃に帰っていった。弟は全然覚えていなかったが、私は鮮明に赤ん坊がいなくなった日々を覚えている。
両親は豊かではない中、弟と私を私立の大学で勉強をさせてくれた。それは大変なことだったと思う。しかし、私はよい教育を受けさせてもらう度に、生まれなかった弟か妹にあやまった。
両親にさえ口に出して言わなかった私の十字架。それは生まれなかった弟か、妹の命のことだった。この十字架の支えがなければ、私は若者たちのために生きようとは思わなかったはずだ。
私は苦しむ若者に出会うたび、いつも私の弟か妹なのだと、姉のような気持ちになるのだ。きっとイエスは、神の愛を知らせる使命を私に与えるために、この十字架をくださったのだと思っている。