わたしの支え

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 人間は生きていくのに、心、身体、物質の3つの支えが必要だと私は考えている。

 72年のこれまでの自分を考えると、本当に数えきれないくらいの支えを受けて成長し、今日まで来られたことをありがたく思う。

 父母の支え、神父さま、教え方さまの支え、我家へ出入りしていた人たちの支え、隣近所の人たちの支え、学校の先生方の支え・・。

 数え出すときりがないほどである。

 私の場合、ものを書くことが仕事なので、出版社の人たちには大変お世話になった。

 また、結婚してからは、夫や夫の両親をはじめ、ゆかりの人たちにも支えられた。ひとり息子にもずっと支えられている。

 4年前、大腸ガンで手術入院の時には、お医者さん、看護師さん方をはじめ、多くの病院関係者の方に、心とともに身体の支えを受け、今も受け続けている。

 物質の面では、毎日の衣・食・住、すべてそれぞれの人に支えられている。お米を食べる時、魚を食べる時、野菜を食べる時、それらに関わった人のことを思い、口に運ぶ。

 ありがたいなと思いつついただくのである。

 よくよく考えると、これらすべて、神さまからのいただき物であることを忘れてはいけないと思う。

 私の母は何事にもよく感謝する人であった。

 元気な頃は人の支えになり続けた人であったが、晩年、病気になってからは、「まわりの人どんに迷惑ばかりかけて、申し訳なか」といっては泣いた。

 しかし、すぐに気をとりなおして、「今は、身体では何も出来んばってん、心は生きちょっけん、みんなのためにお祈りだけは欠かさんとしとっとよ」と、死ぬまでお祈りでゆかりの人の心を支えた。

わたしの支え

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 1枚の写真がある。そこには祖母、うつろな表情の母、そして弟と私が写っている。なぜか私は目に涙をいっぱいためて、大きな人形を抱いている。この数日前、私の家では悲しい出来事があった。

 弟と私は、写真を撮るおよそ1カ月前に、母から「来年の春になったら、弟か妹が生まれるので、いい子にできる?」と言われた。弟と私は喜びのあまり、はしゃいでいた。赤ちゃんが生まれたらを想像しながら、大きな人形で、弟はお兄さんに、私はお姉さんになる練習をしていた。

 もともと母はほっそりとした体型で、私が無事に産道を通って生まれるのは難しいと言われ、当時、珍しかった帝王切開で生まれた。弟は大変な難産の末に生まれた。母は、3人目の子どもを身ごもった時、おそらく命がけの出産になるはずだった。やがて母は寝込むことが多くなり、赤ん坊を流産した。その晩、父はずっと泣いていた。

 その頃まだ同居していなかった祖母がきて、家事をして、母の体調が戻る頃に帰っていった。弟は全然覚えていなかったが、私は鮮明に赤ん坊がいなくなった日々を覚えている。

 両親は豊かではない中、弟と私を私立の大学で勉強をさせてくれた。それは大変なことだったと思う。しかし、私はよい教育を受けさせてもらう度に、生まれなかった弟か妹にあやまった。

 両親にさえ口に出して言わなかった私の十字架。それは生まれなかった弟か、妹の命のことだった。この十字架の支えがなければ、私は若者たちのために生きようとは思わなかったはずだ。

 私は苦しむ若者に出会うたび、いつも私の弟か妹なのだと、姉のような気持ちになるのだ。きっとイエスは、神の愛を知らせる使命を私に与えるために、この十字架をくださったのだと思っている。


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