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わたしの支え

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 今日という一日が終わる時、朝起きてから今迄の18時間程を振り返ります。

 家族と気持ちよく挨拶をかわし朝食を済ませ、仕事に出て、生徒たちと活発に意見交換しながらそれぞれの制作に集中、共にランチをしてから帰宅し、あれこれと家事を片付けました。

 郵便受けから夕刊とともに郵便物を取り込むと、その中に懐かしい友人からの手紙が。

 夕方からの会議に出席し、気心の知れた役員同士しっかり意見交換ができ、満足して帰宅すると、それぞれ忙しく過ごした家族が揃い、遅めの夕食を済ませ、後片づけと明日の用意をして、もうこの時間です。

 今日だけでも私は何と多くの人に支えられ過ごしたことでしょう。家族、生徒、友人知人、外出先では初対面の他人のお世話に与る事だってあります。

 若いときは人が支え合うのは当たり前と思っていましたが、年を重ねた今、つくづく実感するのは、人の支え合いを計画し、適材適所に人を送ってくださっているのではと思える神の存在です。

 金子みすずの「星とタンポポ」という詩に"見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ"という一節があります。

 それは神様、やはり私の支えの究極は神様、そして心惹かれる聖書のみ言葉です。

 マタイによる福音書6章34節の「だから、明日の事まで思い悩むな。明日の事は明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」や、同じく7章7節の「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」などのみ言葉は、子供の頃から文語体で「今日の事は今日のみにて足れり」「求めよさらば与えられん」と、体に刷り込まれ、生涯私の支えです。