時のしるし

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 木や草に、花が次々と咲き始め、春の到来を知らせてくれる最も美しい季節は、やはり3月でしょう。それまでひっそりしていた大地が、一斉に衣装をつけたというような、色とりどりの世界に一変するのですから。

 ところで、キリスト者の生活にも季節に応じて、変化とか、メリハリがあるのです。それは、特に、主キリストが私達にもたらして下さった神の神秘を、教会の典礼の暦に従って行うと、それが味わえるという訳なのです。典礼暦はよく出来ていて、1年が巡るごとに、キリストの降誕を祝うことから始まり、その十字架上での死と、死からの復活に私達も居合わせられるように組まれているのです。

 そして、この復活の目的は何だったのか、と言うことは、私達の人生の目的とは何だったのかというところまで考えさせ、その答えを味わわせてくれると言えます。

 私達は、神に愛されて創られたのではなかったでしょうか。私達を見て、神はよしと思われなかったでしょうか。私達が主に対して罪を犯してしまっても、神は御一人子イエスの命と引きかえにしてまで、私達を救って下さらなかったでしょうか。

 これらのことは、私達がいずれ復活した後、全ての人が神に心からの愛と感謝の賛美を捧げるという、ダイナミックな喜びの交わりが、もはや滅びることなく、涸れることもなく、噴水のように噴き上がる、これが私達の存在の目的なのだという事を示しているのです。

 ですが、主が来られる時はいつか、「天使も、子も知らない。父だけがご存じである」とイエスは言われます。(マルコ13・32)だから、時のしるしを見分けるように、目を覚ましているよう注意されるのです。「見よ、私は盗人のように来る」との、主の言葉は強烈です。(参:黙示録16・15)

わたしの支え

小川 靖忠 神父

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 みなさんは、「自分は誰かに、何かに支えられている」と感じることはないでしょうか。特に、不安になった時、何をすべきなのか、判断に迷った時などは、ふと、頼りになる人、経験したことなどを思いだすことってないでしょうか。

 多くの人が体験していることと思うんですが、新しい任に就いたり、新たなことを始める時、何処からともなく反対意見とか、否定的な発想をされたり、ひどくは非難されたりとか、「どうして」といいたくなるような事態に陥ったりすることがあります。

 神学校に入学した時、それまでとは違う、まったく新しい世界に飛び込んだのは事実ですが、途端に不安になったり、落ち着きがなくなったり、入学前の意気込みはどこにいったのだろうかと悩んでしまいました。

 その時の心の状態はどんなだったのかと思い起こしてみますと、それまでの安心・安全な環境に戻ったほうがいいよと、囁きかける「声の主」がいるのです。それが内側からの声であったり、外からの声であったり、はたまた、あの手この手で攻めてきます。

 その声とまともに対決するのではなく、聞いて聞かぬふりをすることが一番でした。その代わりに、好きな聖書のみことばを手書きで大きめに書きとどめ、引き出しの一番上に置くことにしました。目につきやすくするためでした。

 いくつかのみ言葉を書き留めましたが、今でも何かの機会に寄せ書きに書いています。そのみ言葉は、ヨハネ福音書15章16節の「あなた方がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた方を選んだのである」というみ言葉です。

 このみ言葉は大きな支えでした。主に選ばれたからには、責任を主が取ってくださるということでしょう。神に感謝。


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