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『今日の』祈り

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 或る作家が、重い病に倒れた時のことをエッセイに書いている。身体も動かせなくなった彼は、1年間の日付が当たり前のように印刷してあるカレンダーが腹立たしくてならなかったそうだ。自分にはもう未来がないと感じていたからである。彼はカレンダーを日めくりに変えた。今日という日があることだけを示す日めくりなら、彼は信じることが出来た。彼はその日1日生きたことを自分に言い聞かせ、1日の終わりに、日めくりを1枚ずつ破った。そうして、彼は少しづつ回復していった。

 私たちは健康でいる間は、今日1日を生きていることを当たり前に思っている。それどころか、この先も元気に活動できることを前提に、将来の計画を立てたり、長期にわたる仕事を始めたりする。

 だがもし、この作家のように、突然倒れ、社会生活を奪われたらどうだろう。今日という日は、全く別の意味を持ってくるに違いない。

 私たちは祈るということを知っている。祈りの習慣を持たない人でも、朝、目が覚めて、今日も頑張ろうと思ったり、よき1日であれと願ったりするものだ。それもその人なりの、1日の最初の祈りであるように思う。

 けれども、今日1日が特別に与えられた恵みであると気がついたなら、その人の朝の祈りは、喜びと感謝の祈りになることだろう。悩みや困難な問題を抱えていても、それは、今生きているからこそ抱えられるのである。

 「今日の」祈りとは、「今日を祈る」祈りではないだろうか。生かされていることを喜び感謝する祈り、そして悩みや困難は必ず乗り越えられると、私たちは回復していくと信じる祈りなのであると思う。