私たちは健康でいる間は、今日1日を生きていることを当たり前に思っている。それどころか、この先も元気に活動できることを前提に、将来の計画を立てたり、長期にわたる仕事を始めたりする。
だがもし、この作家のように、突然倒れ、社会生活を奪われたらどうだろう。今日という日は、全く別の意味を持ってくるに違いない。
私たちは祈るということを知っている。祈りの習慣を持たない人でも、朝、目が覚めて、今日も頑張ろうと思ったり、よき1日であれと願ったりするものだ。それもその人なりの、1日の最初の祈りであるように思う。
けれども、今日1日が特別に与えられた恵みであると気がついたなら、その人の朝の祈りは、喜びと感謝の祈りになることだろう。悩みや困難な問題を抱えていても、それは、今生きているからこそ抱えられるのである。
「今日の」祈りとは、「今日を祈る」祈りではないだろうか。生かされていることを喜び感謝する祈り、そして悩みや困難は必ず乗り越えられると、私たちは回復していくと信じる祈りなのであると思う。