この由々しい事態を引き起こしたのは、「誕生祝いの予約、しといたからねー」との、息子の一言でした。我が家では、家族の誕生日が近いことから、こうして1回にまとめて祝っているのです。それがたまたま私のレッスンとぶつかった訳なのですが、そこは父親たる私、堂々と「よしっ、レッスンをお断りしよう!」と、あらぬ方角へ事を決着させてしまいました。
こんな風に、毎日というものは、そうそう決められた通りにだけ進められるわけではありませんよね。今の話は、私のせいだったのですが・・。
しかし、そういう言わば横波のような揺れをかぶりながらも、私達は毎日の生活を、何とか一定の方向性を感じられるように送っているとも言えるでしょう。
そしてこの事は、私達の心根が、教会の年間を通じての祈りと、つまり神様が讃えられますように、そのみ旨が成就しますようにとの願いと一致していることを示していると思うのです。
その上で、個人としても「今日の」祈りとして、「主よ、あなたが讃えられるためには、まず私が改心しなければなりません、助けて下さい」と祈ると共に、「あそこの美味しい料理を食べに行かせて下さい」と祈るのも、私たちと神との親しさではないでしょうか。