イエス様が、仰いました。「敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい」。(マタイ5・44)また、次のようにも仰いました。「立って祈る時、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい」。(マルコ11・25)使徒の一人、パウロも次のように言っています。「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔に隙を与えてはなりません」。(エフェソ4・26~27)
結局、敵を愛し迫害する人の為に祈るのは、自分自身の為でもあるのだと考えるようになりました。何故なら、その人達の為に祈ることによって、私自身が心に平和を頂くようになったからです。
敵、それは主に攻撃してくる人達ですが、その人達は、愛情を誰かに求めているが故に、そのような行動に出ているのかもしれません。
何故、敵の為、迫害する人の為に祈るのかに関して、その根拠をイエス様は、「天の父の子となる為である」と言われました。(マタイ5・45)「天の父の子」となれるとは何と素晴らしい未来でしょうか。
それゆえ、誰か、恨みに思っている人が脳裏に浮かんで来たら、今日の内に、その人の為に祈るようにしています。