2019年01月31日の心の糧

共にいる神

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ  聖書の中で神はインマヌエルと呼ばれています。それは「共にいる」という意味です。神さまはどんな時も私たちと一緒にいてくださる「人生の伴侶」です。

 私がエッセイや小説を書く時、神さまは私のそばにいて、アドバイスしてくださいます。神さまが望んでおられることと私の考えが違うとき、それにも気づかせてくださいます。そんな時は改めて聖書を読み直し、心に浮かんだことをメモし一から書き直します。これを書けばいい、とわかるととても安心です。

 どんな人のそばにも神は共にいて語りかけておられますが、神はあまりにも謙虚な方なので、私たちはそのお声を聞こえていないかのように無視してしまうことがあります。自分だけの考えで事を押し進めたいと思うなら、神のお考えは反映されませんので、結果が良いはずはありません。しかし、神さまと一緒にするならばどんなこともまったく違う結果が出ます。

 神のアドバイスを受けるには、まず心を子供のようにしてお父さんに聞くように尋ねることです。私に教えてくださることは何でも実行しようと決めて祈りながら待ちます。祈りの中で気づいたことをノートに記し、更に祈って確かめます。気づきを実行しようと考えると、心に温かい手ごたえを感じるか、あるいは緊張を感じるかも判断材料になります。神からの勧めは、励ましや温かい感触を伴うからです。

 しかし、私たちにとって最も難しいのは初めの一歩でしょう。

 自分は一人では何もできないのだ、という自覚です。

 フランスの聖人テレーズが偉大なのはこの点です。彼女は「小さい子ども」であることに満足し、一生涯、謙虚さに留まったからです。

2019年01月30日の心の糧

共にいる神

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ  聖書は私たちに教えています。キリストと呼ばれるイエスが弟子たちに、次のように約束されました、と。

 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・20)

 この言葉は、マタイ福音書の大きなテーマとも言われていますが、このイエスの言葉の中から、「いつも」という言葉に注目してみたいと思います。

 目覚まし時計が鳴って、寝床から起き上がる時に、イエスは共におられます。身支度をしている時も、慌ただしく朝食を取っている時も、イエスは共におられます。公共交通機関を使って、または自転車や徒歩で通勤・通学している時も、イエスは共におられます。

 仕事や勉強の最中も、また、のんびりと一日を過ごしている時もイエスは共におられます。家族や友人、同僚たちと楽しく会話している時も、ケンカしている時でさえも、イエスは共におられます。一人ぼっちで過ごしていたとしても、目には見えなくとも、イエスは共におられます。

 

 洗濯している時も、掃除をしている時も、買い物をしたり、炊事をしたりしている時も、イエスは共におられます。

 食べたり、飲んだりしている時も、ぼーっと考え事をしている時も、ゆっくりお茶を飲んでいる時も、イエスは共におられます。

 楽しい時も、嬉しい時も、また、怒っている時も、悲しい時も、そして、苦しい時、ふさぎ込んでしまった時、諦めてしまっている時でさえも、イエスは共におられます。

 慌ただしい一日が終わり、寝床に着く時にも、イエスは共におられるのです。それだけでなく、私たちがこの世を去ったとしても、イエスは「世の終わりまで」共にいてくださるのです。

 どんな時、どんな場所、どんな状態にあっても、必ずイエスが共におられる。それが「いつも」という約束なのだと私は思います。


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