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わたしのクリスマス

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

わたしのクリスマスは、1949年、新制高校の1期生として19歳で卒業した年に受けた「洗礼のクリスマス」でした。

 わたしは幼稚園のときに、クリスマスを経験しましたが、薄暗い聖堂のせいか楽しい思い出はありませんでした。けれども、10歳のときに父親を亡くし、それがきっかけで姉のキリスト教の話を聞いて、そくざに信じました。そして、どうしたら天国に行って救われるのかと真剣に考えました。すると、ある本に「祈ることだ」と書いてあることに気づき、姉から祈りの本を貰って、熱心に祈りました。しかし、教会が町になかったこともあり、そのときは教会に行こうとは思いませんでした。

 こうして数年が経ち、学校を卒業することになったので、故郷を離れて、兄が出版業をしている信州、長野を目指して出発しました。

 その途中、新潟県から長野県に入る辺りで、車窓から万年雪を抱く北アルプスの山並みを見たとき、なぜか教会に行って洗礼を受けようという衝動に強く駆られました。そこで長野市の善光寺の近くにある兄の家に落ち着くと直ぐに、教会を探しました。ドイツ人の宣教師はわたしを快く受け入れ、クリスマスに洗礼を授けることを約束してくれました。それで、安心して半年間、要理を勉強しました。

 クリスマスイブ、長野市は雪が降っていました。そんな中、数人の友だちと共に洗礼を受けました。特別な感激はありませんでしたが、深夜、雪の降る静かな中央通りを独りで歩いて帰路についていると、内心、深い喜びと平安と自由な気持を体験しました。

 そして、人間が洗礼によって神の子となるために、神の御子、イエスが誕生された神秘を理解することができました。