さて、私には、この時の東方で輝いた星が、何年か後に、私をクリスマスのミサに初めて列席するように導いてくれたのだと思っています。
そこから、キリスト教の教えに魂を挙げて信仰宣言出来るまでには、神の愛を知って深く大きな喜びを味わうとともに、とても信じ切れない、あるいは、自分の理性では到底把握できない事から、疑いも苦しみも感じていました。
それに比べて、妻は、中学時代に自分から進んで色々な教会を巡り、カトリック教会に出会った時、ここが私の求めていた場所、と確信したというのです。私が思うには、これは、主からついておいでと言われた弟子たちが、今の今まで漁に使っていた舟や網の一切をおいて主に従った、というあの姿に近く、神様だけが説明できる素晴らしい出来事だと思うのです。