別のキリスト教の新興宗教のようなグループでは、3か月間教義を学んだ後、洗礼を勧められた為、別のプロテスタントの友人に相談したところ、3か月ではまだ早いのではないかと助言を受け、そのグループからも離れることとなりました。
大学3年生のクリスマスの前には、あるプロテスタントの教会に通っておりましたが、クリスマスを前に、そこの牧師先生が突然異動になられ、気が動転していた時、同級生からカトリック教会のクリスマスミサに誘われました。私はその時初めて、永遠の命に至る道の出発点に立ったのだろうと思います。聖書の中に次の言葉があります。
「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、私の民は見分けない」。(イザヤ書1・3)家畜は飢えれば飼い葉桶の所に来るのに、イスラエルの民は心に飢えを感じても、私の所に来てくれないという神様の嘆きが書かれています。
私は大学時代、心に飢えを感じながら彷徨い、最終的に、飼い葉桶に寝かされているメシア、ご自分を与えて私達を生かして下さる方の所に導かれたような気がします。