2018年12月14日の心の糧


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わたしのクリスマス

服部 剛

今日の心の糧イメージ 私は今、クリスマスの聖夜の意味を改めて考えています。

 およそ2000年前に生まれたイエス・キリストという方の存在を心から信じるなら、深い希望となるだろうと、私はひとり、瞳を閉じて思いを馳せます。そして、時を越えて闇の中に響く幼子の産声が聴こえたならば、その人の日々が新たにされる密かな合図となることでしょう。

 クリスマスで思い出す場面は、子供の頃に行われたパーティーでのプレゼント交換です。友達と輪になり、皆で「ジングルベル」の曲を歌い終わったところで互いにプレゼントを渡すという、ワクワクする雰囲気。大人になった今でも懐かしく記憶に残っています。最近、私はクリスマスのみならず、日々を「ささやかなプレゼント交換」と思って生きることはできないものか、と考えます。その日出会う誰かへの、例えば小さな声かけや親切な行為が、そっと手渡される素朴な贈り物となれば、心が曇るような日でも、ろうそくの火のような明かりをその人の胸に灯すことができるのではないかと信じたいのです。

 ヨハネによる福音書の第1章には、〈言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている〉と記されています。(4~5)私はこの箇所を読むと、聖なる夜、馬小屋で幼子イエスが産まれた場面と重なるように感じます。それと同時に、この世に来られたイエスは「闇に輝く光」として、はるかなる過去から存在していたことを、福音史家ヨハネは語っています。

 聖夜、自分の中に神のひとり子がお生まれになったことを知るなら、そして気づくのです。〈私自身の存在も世界でたった1人の贈り物なのだ〉と。