2018年11月29日の心の糧


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岐路に立つ時

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ どちらを選んでいいか分からなくなったとき、わたしは自分に「これは天国に持っていけるだろうか」と問いかけるようにしている。いずれ死によって奪い取られてしまうようなものを、どんなにため込んでも仕方がないからだ。

例えば、テレビが紹介しているような大きな車やぜいたくな服、便利な道具などは、天国に持っていけるだろうか。天国どころか、病院にさえ持っていくことができない。病気になって入院するとき、わたしたちが病室に持っていける荷物はせいぜいボストンバッグ1つ分くらいだ。そのことを思えば、たくさんの物をためこんでも意味がないことが分かる。

名誉はどうだろうか。これも天国に持っていくことはできない。

 

昔、亡くなった有名な神父の部屋のあと片づけを手伝っていて、それを痛切に思い知らされたことがある。彼の部屋にはたくさんの表彰状や各国から贈られた勲章が残されていたのだが、片付け係のブラザーはそれらを手早く段ボール箱に詰め込み、ゴミに出してしまった。「取っておいても、誰も貰い手がないから」というのだ。名誉というものは、所詮そのようなものだ。

家族や友だちはどうだろう。これも天国に持っていくことができない。どんなに誰かを自分のものにしたいと思ったところで、死ぬときは自分1人だけだ。たとえたくさんの子どもや孫に囲まれ、何10人もの人たちが涙を流したとしても、死ぬのは自分1人なのだ。

では、天国に持っていけるのは何か。

それは、わたしたちの心を満たした愛だけだ。誰かを深く愛し、誰かから深く愛された記憶だけは、死によってさえ奪われることがない。

どちらを選んでいいか分からなくなったときには、よく考えて、心をより豊かな愛で満たしてくれる方を選ぶのが賢明だと思う。