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分岐点

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

天国と地獄の分岐点とは何だろうと考えて眠れなくなった高校時代を懐かしく回想しています。今は殆ど地獄のことを考えず生きています。

何故このような変化が起きたのか、それは多分、長年の私の職業がそうさせたようです。天国と地獄についての異常なほどの悩み、幼稚園児から高齢者まで、その恐怖心を聴き続けたので、私を楽天的にさせたのでしょう。

世界には色々の宗教があり、それぞれの神仏像が天国と地獄の姿を表現しています。

私を楽天的にした理由のもう1つは「十字架の贖罪と復活した神のイメージ」です。何故キリスト様が十字架で亡くなったのか、そして復活されたのか、その深い意味を思索するうちに、高校時代のような恐怖心が消滅していきます。さらには神様が与えて下さった個性の美と天命のようなもののほうを真剣に模索していきます。

人は考えた通りの人間になる、と古代から言われていますが、多分駄目だろうな、と思いながらも真剣に夢を祈り求めますと、思わぬチャンスが訪れ、実現できたこともありました。地獄を脅迫感のような気分で悩むよりも、キリスト様の十字架での贖罪の意味を味わうほどに、全知全能で愛そのものである神様が大好きになりました。

大学を卒業し夢と希望に満ちて大人の社会に飛び込む、すると学生時代には想像もしなかった社会の意地悪や、恐ろしい現実に翻弄されましたが、何とかその困難を乗り越えた人生体験から、益々、愛そのものの神様の恩寵を体感します。

また、どんなに変な自分に気づきましても、愛そのものである神様と十字架の贖罪という意味が理解されるにつけ、私は安心への道を歩みだしたようです。

その分岐点は高校時代の洗礼だったようです。