2018年11月27日の心の糧


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岐路に立つ時

土屋 至

今日の心の糧イメージ ある教会の神父さんは、若いときに、司祭への道を選ぶか、福祉への道を選ぶかとても悩まれたそうである。

司祭や修道者になるには、神からの呼びかけが必要で、これを召し出しとか召命と呼んでいる。カトリック教会には、こういう生き方の選択のために黙想のなかで識別するという伝統がある。

神からの呼びかけが本物かどうか、そしてそれに応えるのは自分の本当の望みなのかどうかを、沈黙のうちに神と対話しながらみきわめる。

この神父さんも、黙想をして一生懸命祈って、自分の道を選び取ろうとされた。

そしてその結果は「司祭になるのも福祉の道を選ぶのもどちらでもいい」という結論だった。どちらの道も神さまのお望みにかなっているというわけである。

そして、かれは、あんなに悩んでいたことがうそだったように、躊躇せずに司祭への道を選ばれたのだそうだ。

考えてみれば、岐路に立たされたときに、どちらを選ぶか悩むような選択は、どちらにもメリットやデメリットがあってきめられないことが多い。そういうときはどちらを選んでもいいのだろう。どちらを選んでもたいして変わらないと気づいて、義務感やプレッシャー、緊張から解きほぐされて自由に選んだときに、自分の本当の望みに素直になれるのではないか。

別に司祭や修道者になる場合でなくても、自分の将来の生き方を選ぶときに大切なことは、神さまが自分に何を呼びかけておられるのか、そして自分がそれに応えることが本当に自分の望みなのかを心の奥底に問いかけるということであろう。

それをするのに妨げとなるものは、富とか名誉とか権力への欲望であると思う。それに惑わされると神の望みも自分の本当の望みも見えなくなってしまう。