私とロザリオ

新井 紀子

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私が小学校3年生のときです。住み慣れた社宅を離れ、横浜の新居へ引っ越しました。ところが、引っ越し3日前、母がヘルニアで入院したのです。

引っ越し荷物は、社宅の人々により、送り出すことができました。新居には、急きょ従姉の春子さんが、泊りがけで手伝いにきてくれました。大学3年生の彼女は、高校生のときにカトリックの洗礼を受けていました。物静かな性格で、人のいやがることを率先してやってくれる思いやりのある人です。親戚の誰からも「マリア様みたいね」と言われていました。

春子さんは、朝から夜まで、拭き掃除をはじめとして、私たち小さな4人姉妹の世話など何くれとなく働いてくれるのでした。週末になりました。彼女は私たち家族に向かって言いました。

「明日は教会へ行きます。朝早いので、黙っていきますが、心配しないでくださいね」

翌朝、私は早起きして、彼女を見送ることにしました。出かける準備をしている荷物の中に、不思議なものを見つけました。紫色をしたガラス玉が並んでいてどうやら、首にかけるもののようです。

「わー、きれいな首飾りね」と私。

「これは、ネックレスではなくてロザリオっていうのよ。お祈りをするときに使うの。ほら、こんな風に、指先で球を持って祈ると、次の球を持ってまた祈るの。」

春子さんは、ロザリオを手渡してくれました。ひんやりして、厳かなものに感じました。

「何を祈るの」

 私の母の病気が早く治りますように、何回も祈っているというのです。

それを聞いて、私は母のために何もしていないことに気づきました。彼女が家を出た後、自分の部屋へ行きました。私は心の中でロザリオを思い浮かべながら、母の病気が早く治りますように、と何度も何度も祈ったのでした。

私とロザリオ

片柳 弘史 神父

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神父になって数年の頃、自分が神父としてふさわしくないのではないかという疑いに取りつかれたことがある。神様が神父への道に呼んで下さったことについては確信を持っていたが、自分が神様の招きにふさわしく答えられていないように感じたのだ。ミサを立てるたびにそのことを感じ、激しく心が痛んだ。

そんなことが数ヶ月続いたある日、たまたま立ち寄ったマザー・テレサの修道会の修道院で、シスターたちと一緒にロザリオの祈りを捧げる機会を与えられた。小さな聖堂で、純白の聖母マリアの御像の前に跪いて祈るのだ。シスターたちと一緒に祈っているうちに、わたしはかつて同じようにシスターたちと一緒に祈っていた頃のことを思い出した。

それは、20代でカルカッタに渡り、マザー・テレサのもとでボランティアをしていたときのことだ。当時、深い迷いの中で神父への道を模索していたわたしは、毎日、マザーの隣に座ってロザリオの祈りを唱えていた。苦しい時期ではあったが、そのときに抱いていた「神父になって、苦しんでいる人々に奉仕したい」という気持ちは、確かに本物だったと思う。

シスターたちとロザリオの祈りを捧げているうちに、その頃の気持ちがわたしの心の中に蘇ってくるのを感じた。心が不思議な静かさと力で満たされ、天に引き上げられていくようだった。祈りが終わったとき、わたしの心に巣食っていた疑いはすっかり消えていた。わたしはまったく無力だが、そんなわたしを聖母が守り、神様が使って下さっているということを確信したからだ。

いまわたしは、ロザリオの祈りを唱えるたびに、マザーの隣でロザリオを一生懸命に祈っていたあの頃の気持ちを思い出す。ロザリオの祈りは、神父としてのわたしの歩みの原点と言っていい。


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